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東京高等裁判所 昭和54年(う)1549号 判決 1980年8月05日

主文

原判決を破棄する。

本件を東京地方裁判所に差し戻す。

理由

恐喝の点に関する本件控訴の趣意は、被告人福田の弁護人池谷昇、同重田九十九が連名で提出した控訴趣意書に、これに対する答弁は、検察官藤岡晋が提出した答弁書に、それぞれ記載されたとおりであり、商法違反(特別背任)の点に関する本件控訴の趣意は、検察官大堀誠一作成名義・検察官前野定次郎提出の控訴趣意書に、これに対する答弁は、被告人中村の弁護人川上義隆、同阿部昭吾、同渡〓顯が連名で提出した答弁書、及び、被告人福田の弁護人池谷昇、同重田九十九が連名で提出した答弁書に、それぞれ記載されたとおりであるから、これらを引用する。

恐喝の点に関する被告人福田の弁護人池谷昇、同重田九十九の控訴趣意第一点ないし第三点(事実誤認)について。

所論は、要するに、原判決には、左記の(一)ないし(三)の点において判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認がある、というのである。

(一)  八重州食品株式会社振出の原判示小切手が東京相互銀行銀座支店で銀行のミスにより紛失したことを被告人福田が知つたのは、昭和四九年一〇月二五日午後二時ころ同支店において、原審相被告人平田雅弘、同亀卦川清の両名と共に、同支店長中村嘉幸と会談した際であると認めるべきであるのに、原判決は、同月二一日午後二時過ぎころ、右平田が右支店から被告人福田に電話をして小切手の再発行を頼んだ際、被告人福田は既に小切手が紛失したものであることを知つていたと認定している点。

(二)  被告人福田と右平田、亀卦川の三名が、同年一〇月二五日午後二時ころ右支店のロビーに落ち合つたときには、右三名のいずれも本件喝取の故意がなかつたと認めるべきであるのに、原判決は、その時点において本件喝取についての右三名の共謀が成立したと認定している点。

(三)  支店長中村が被告人福田からの本件融資の要求に応じたのは、同支店のミスをカバーしようとの自己保身的な考えによるものであつて、いわゆる四者会談における被告人福田の言動とは直接的な因果関係を欠いているのに、原判決は、右中村が、もし被告人福田ら三名の融資の要求に応じなければ、小切手の紛失問題あるいはゴルフ場の不正問題を「躍進ニツポン」に掲載して世間に公表し、あるいはこれを同年一一月の同銀行の株主総会の質疑に付して右総会を混乱に陥れるなどして同銀行の信用並びに業務にいかなる危害をも加えかねず、かつ右中村の支店長としての進退問題にまで発展しかねないものと畏怖させられた結果によるものであるとして、本件融資が右中村の畏怖によるものであると認定している点。そこで、検討してみると、右(一)に関する原判決の事実認定は、同年一〇月二一日午後二時ころ、右中村から原判示小切手紛失の事実を告げられ、被告人福田から再度振り出してもらつてくれるよう依頼を受けた右平田が、東京相互銀行に恩を売る良い機会であると考え、銀行が小切手を紛失したことが被告人福田に知れると必らず銀行に迷惑がかかるから、自分が紛失したことにして再発行してもらう旨答えて、早速支店長室から被告人福田に電話して再発行を頼んだところ、同被告人から「それは銀行でなくしたんだろう」と言われて答に窮し、通話終了後に中村に対し、「いやよわつたよ、福田はもう銀行がなくしたのを知つている」と話した、というものであつて、所論のように、平田が被告人福田に電話をして小切手の再発行を頼んだ際、同被告人が既に小切手が紛失したものであることを知つていたと認定しているわけではないのである。

そして、原判決は、右のように、同日午後二時過ぎころの時点としては、平田が中村に対し「福田はもう銀行がなくしたのを知つている」旨話したと認定判示しているだけであるが、これに引き続き、同日五時半ころ平田が八重州食品の事務所を訪れ、被告人福田から小切手の再発行を受けた際、同被告人から「東京相互はたるんでいる、これを機会に当座を開いてもらつて五〇〇〇万円の融資をしてもらうよ」と言われ、「そうだ、銀行ともあろうものが客から預つた小切手を紛失するなんてとんでもない。おれが亀卦川さんに言つて圧力をかけてもらつて金が出るようにする」と答えた旨判示しているのであるから、原判決は、少なくともこの時点においては、原判示小切手が銀行のミスにより紛失したことを被告人福田が確実に知つていたものと認定しているのであつて、所論主張のように、同年一〇月二五日午後二時ころのいわゆる四者会談の際に被告人福田がそのことを初めて知つた、と認定していないことは明らかである。

しかし、原判決が掲げる関係証拠を総合すれば、右(一)の、原判示小切手が銀行のミスにより紛失したことを被告人福田が知つた時点に関する部分をはじめ、右(二)の、被告人福田及び平田、亀卦川の三名に本件喝取の故意があつたこと、並びに右三名の本件共謀が成立したこと、(三)の、本件融資が中村の畏怖によるものであること、に関する原判決の各認定判示部分は、いずれも優にこれを肯認することができるから、所論はいずれも採用することができない。

論旨は理由がない。

恐喝の点に関する被告人福田の弁護人池谷昇、同重田九十九の控訴趣意第四点(法令適用の誤り、量刑不当)について。

所論は、要するに、原判決が被告人福田に対する未決勾留日数を本刑に全く算入しなかつたのは、刑法二一条の解釈適用を誤つたものであり、仮にそうでないとしても、量刑不当で破棄されなければならない、というのである。

しかし、原判決は、被告人福田に対し刑の執行を猶予しているのであるから、未決勾留日数を本刑に全く算入しなかつたとしても、本件事案の罪質態様、審理の経過にかんがみ、未決勾留日数の算入に関する合理的な裁量の範囲を逸脱したものとは認められない。

論旨は理由がない。

前回控訴趣意第五点(量刑不当)について。

所論は、要するに、本件恐喝の罪につき被告人福田を懲役三年、執行猶予五年に処した原判決の量刑は、本刑を懲役三年とした点及び未決勾留日数の算入をしなかつた点において不当に重いというのである。

しかし、記録に徴すると、被告人福田は、昭和五二年一一月一日本件恐喝につき原審相被告人亀卦川清、同平田雅弘と共に起訴され、更に同年一二月二四日本件商法違反(特別背任)につき相被告人中村嘉幸と共に起訴され、各起訴状別に審理を受けていたが、右恐喝事件の第二三回公判(昭和五四年一月一六日)において審理手続が併合され、第二四回公判において被告人福田に対し懲役七年の求刑がなされたところ、原審は、本件公訴事実のうち商法違反の点につき被告人福田、中村両名を無罪とし、被告人福田については、本件恐喝の点のみを有罪として、懲役三年、執行猶予五年の刑を言い渡したものであることが明らかである。

しかしながら、当審としては、後に詳細判示するとおり、本件公訴事実のうち商法違反の点につき被告人福田、中村両名を無罪とした原判決は、事実誤認のかどでこれを破棄し、更に審理を尽くさせるため本件を原審に差し戻すこととした。そして、差戻後の審理の結果、右商法違反の点について有罪判決をするとすれば、被告人福田についての量刑は、同被告人の利益のための本件恐喝の点と併せてこれを量定すべきものである。したがつて、所論量刑不当の主張については、この判決において特に判断を示す必要を認めない。

(なお、未決勾留日数の算入をしなかつた点については、控訴趣意第四点について述べたとおりである。)

商法違反(特別背任)の点に関する検察官の控訴趣意について。

所論は事実誤認を主張するものであり、その要旨は次のとおりである。

一、本件公訴事実は、「被告人中村嘉幸は、昭和四九年二月一日から同五二年一〇月四日まで、株式会社東京相互銀行の取締役銀座支店長として同支店の行なう貸付及び預金業務の全般を処理統括し、同行のため忠実にその職務を遂行すべき責務を有していたもの、被告人福田狂介は食堂経営などを業とする八重州食品株式会社の代表取締役であるが、同支店の八重州食品株式会社代表取締役福田恭介名義の当座預金口座には、小切手などの決済資金が不足して他に決済資金のあてもなく、また、八重州食品株式会社あるいは被告人福田狂介から確実な担保の提供もなかつたので、右八重州食品株式会社代表取締役福田恭介名義の当座預金口座から、その残高を超えて小切手などの支払決済をするなどして貸付を行なうときは、それが回収不能となつて同銀行に損害を与える虞れが極めて大であつたにもかかわらず、前記任務に背き、前記八重州食品株式会社の利益を図り、かつ、同行に損害を加える目的をもつて、被告人福田狂介の依頼に応じ、ここに被告人中村、同福田の両名は、同支店次長竹田義夫と共謀のうえ、別紙一覧表(省略)記載のとおり、昭和五〇年二月一八日から同年四月五日までの間、合計四〇回にわたり、いずれも東京都中央区銀座六丁目六番九号東京相互銀行銀座支店において、八重州食品株式会社代表取締役福田恭介名義の当座預金口座から、その預金残高を超えて、いわゆる他店券過振りの方法により、同支店支払い八重州食品株式会社代表取締役福田恭介振出し名義の小切手合計三〇二通、同名義の約束手形合計五六通(金額合計二七三、七一〇、一三七円)の支払いをして右金額を右八重州食品株式会社に不正に貸付け、もつて東京相互銀行に右金額相当の財産上の損害を与えたものである。」というものである。

二、原判決は、右公訴事実につき、その外形的事実を認めつつも、(一)動機の点については、被告人中村は過振り解消に関する被告人福田の経済的能力に絶望的評価を下したことはなく、過振り解消の期待を持つていた、(二)図利・加害目的については、被告人中村が本件過振りをした主たる目的は東京相互銀行の利益を図ることにあつたというべきで、八重州食品を利し、又は東京相互銀行に損害を加える目的があつたと認めることはできない、と認定し、被告人中村に商法四八六条一項の罪が成立しない以上、同条所定の身分を有しない被告人福田にその罪が成立しないのは当然であるとして、被告人両名に対し無罪の言渡しをした。

三、本件は、公訴事実どおりに認定すべき十分な証拠があるのであるが、原判決は、被告人中村の本件一連の過振りをもつぱら動機の面から考察し、その際原審で取り調べられた被告人中村の捜査官に対する各自白調書中本件過振りの動機に関する供述部分はいずれも信用性がないとしてこれを排斥した上、主として被告人中村の原審公判廷における供述を骨子として事実の認定をし、前記無罪の判断をしているのである。

四、しかし、原判決が、右各供述部分の信用性を否定する根拠として判示しているところは、いずれも前提事実を誤認しているか、その判断を誤つているもので、到底承服することができない。

五、本件過振りの異常性、八重州食品から提供させた担保の状況、同会社の営業及び資産状態並びに被告人福田の資産状態に照らして、被告人中村は、本件過振りについて、その回収が不可能であることを十分認識していた。

六、しかるに、被告人中村は被告人福田に依頼され、本件過振りを続けていたのであるから、被告人両名の行為は、互いに自己の利益を図り、東京相互銀行に損害を加える目的、すなわち図利・加害目的を有していたことは優に認定しうるものである。

七、したがつて、原判決は事実を誤認したもので、これが判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、破棄を免れない。

以上が検察官の主張の要旨であるが、記録を調べてみると、所論のような本件公訴事実に対し、原判決が所論のような事実認定及び判断を示して、被告人両名に対し無罪の言渡をしていることが明らかである。

本件公訴事実において罪とされている被告人中村の行為は、いわゆる「連続過振り」であり、「過振り」の定義及びその許容限度については原判決が判示しているとおりであるが、銀行業務の常識からすれば、「過振り」とは、要するに、手形、小切手が支払のため呈示されたとき、本来なら資金不足のため不渡りにすべきところを銀行が顧客の便宜をはかり、特に一時資金を立替えて決済することであり、実質は無担保貸付に等しいから、銀行側としては原則として行なつてはならないもので、営業上やむをえないと認められる場合に限り、例外的に許される措置であり、まして、いわゆる「連続過振り」などは論外である、とされている。本件株式会社東京相互銀行(以下、本件銀行という。)においても、その例外ではない。

ところで、原判決は、「被告人中村は東京相互銀行銀座支店において、八重州食品に対し、別紙過振り推移表記載のとおり、昭和四九年一一月一五日から同五〇年四月までの間、いわゆる連続過振りの取扱いをなし(以下、右昭和四九年一一月一五日から同五〇年四月五日までの過振りを「本件一連の過振り」という。)右連続過振りの最終日には他店券過振り金銭高(いわゆる焦付き分)が九二七五万九四六一円であつたところ、被告人中村は、これを同月七日九三〇〇万円の手形貸付に切り替えたのであるが、その間同五〇年二月一八日以降同支店において支払処理がなされた八重州食品振出の手形・小切手類の数及び金額は起訴状記載のとおりであることが認められる。」と判示して、本件公訴事実のうち被告人中村が連続過振りをしたことの、いわば外形的事実は、これを認めているのであり、この認定は、関係証拠に照らし、優に肯認することができる(なお、原判決は、「無罪部分の理由」の「第二被告人中村の背任罪の成否」の一の「本件一連の過振りの動機について」の中で、「1本件一連の過振りの経緯」と題して、本件連続過振りの外形的経緯を詳細に判示しており、この認定も、おおむね肯認することができる。)。

そして、このような長期間の連続過振りは、前記銀行業務の常識に照らし、到底許容されるべきものではなく、原判決も、前記「本件一連の過振り」のうち、公訴事実に記載された昭和五〇年二月一八日以降の分を「本件過振り」と名付けた上、「本件過振りは、右に見たように、本件一連の過振りの一部をなすところ、本件一連の過振りは、昭和四九年一一月一五日から同五〇年四月七日まで、五か月弱の長期間に及び、しかもその態様は、連続過振りであること、当日過振りが多いこと、見合他店券の多くが八重州食品振出のいわゆる自振小切手であること、更に同年二月二〇日からは見合小切手の依頼返却、再入金が繰返されたことなどの特徴を有し、これを単に外形的に評すれば、極めて異常であつて、銀行員としては絶対に行つてはならない種類のものであるというも過言ではない。」と断じているが、「これを単に外形的に評すれば、」の部分を除けば、まことに正当な判断というべきである。

しかるに、一転して、原判決は、被告人中村の本件一連の過振りをもつぱら動機の面から考察し、その際原審で取り調べられた被告人中村の捜査官に対する各自白調書中本件過振りの動機に関する供述部分はいずれも信用性がないとして、これを排斥し、主として被告人中村の原審公判廷における供述を骨子として認定したところに基づき、同被告人が本件の連続過振りをした主たる目的は、本件銀行の利益をはかることにあつたというべきで、八重州食品を利し又は本件銀行に損害を加えようと図つたものとは認められないとして、いわゆる図利・加害目的の不存在を理由に、商法四八六条一項所定の特別背任罪の成立を否定し、被告人中村について同条項の罪が成立しない以上、同条所定の身分を有しない被告人福田についてその罪が成立しないことは当然である、と判示し、両名に無罪の言渡をしていることは、所論指摘のとおりである。

しかし、原判決も認めている本件連続過振りの外形事実を素直にみる限り、このような行為をする者の主たる目的が、本件銀行の利益を図ることにあつて、八重州食品の利益を図る目的がなかつた、とすることは、前記連続過振りの性質に照らし、容易に納得しがたいことである。

そこで、被告人中村の捜査官に対する各自白調書のうち本件過振りの動機に関する供述部分が、果たして、原判決のいうように信用に値しないものかどうかの点を判断することとし、原判決が右各供述部分の信用性を否定する根拠として判示しているところに従い、以下(一)(二)の順に検討を加える。

(一)  まず、原判決は、被告人中村の各自白調書の記載のうち、本件一連の過振りが被告人福田に対する恐怖心から始まつたとある点は十分肯認できるが、昭和四九年一二月中旬ころになると、その恐怖心が消え、被告人中村は、自己の面目を失墜させたり責任を問われたりすることを避けるために過振りを続けたとなつている点は疑問である。けだし、同被告人の心理状態の経過がそうであるとすれば、同被告人は、同年一二月の本件過振金残高が零又は僅少になつた機会を逃さず不渡りを出していたはずであるのに、そうしなかつたということは、途中で恐怖心が消えたとする前記各自白調書の記載の信用性に疑問を抱かせるものである、と判示し、被告人中村も原審公判廷において、被告人福田に対する恐怖心は残つていたと供述している。

確かに、過振りについて権限を持ち責任を負つている銀行支店長としては、本件のような場合、過振り残高が零又は僅少になつた機会に、すかさず不渡りを出し、過振り残高の増加を防止するのが当然の職責であるにもかかわらず、被告人中村があえてそれをしなかつたのは、被告人福田に対する当初の恐怖心が続いていたためではなかろうか、という疑念が浮ぶのは一応もつともである。

しかし、関係各調書の記載を仔細に検討してみると、被告人中村の被告人福田に対する潜在的恐怖心が全く消滅したとまで断ずることはできないけれども、かなり薄れたであろうことは否定できず、被告人中村が右のような断乎たる処置に出なかつたのは、福田に対するそのような潜在的恐怖感よりも、むしろ、被告人中村の「人の良さ」とか「優柔不断」の性格によるものと認められ、同被告人のこのような性格を念頭に置くと、同被告人が本件連続過振りの動機として、その発覚による支店長としての面目失墜や、責任追及を恐れたためと具体的に述べているところは、いずれも容易に理解することができる。

それゆえ、原判決が指摘している前記の疑問点は、結局被告人中村の各自白調書の信用性を否定するに足りないものといわなければならない。

(二)  次に、原判決は、被告人中村の自白調書には、右の過振りの動機と表裏一体をなす事実として、同被告人の銀座支店次長(原判決に「銀座支店長」とあるのは誤記と認める。)竹田義夫の両名が被告人福田と通謀して、本件一連の過振りに関し本件銀行本店の目をごまかすべく、過振り残高を減少させる工作をした旨の記載があるが、以下五点の理由により、これを信用することができず、したがつて、被告人中村の自白調書と軌を一にする被告人福田及び竹田義夫の検察官に対する各供述調書も、皆信用性に瑕疵があり採用することができない、それゆえ、結局中村の動機に関する自白は採用できない、というのである。

そこで、原判決が判示する五点の理由について、順次検討を加えることにする。

第一点 原判決は、関係証拠によると、本件一連の過振りは、当座勘定過振日報(以下、単に過振日報という。)により逐一本店審査部に報告されており、担当審査役及び審査部長の把握するところとなつていたことが認められるが、かかる事情のもとで、一日か二日過振り額を減少させることにより本部の目をごまかすことができると被告人が考えたとはいささか信じがたい、というのである。

なるほど、関係証拠によれば、本件一連の過振りは、原判決判示のとおり、過振日報により本店審査部に報告されていたことが認められるが、当審での事実取調の結果をも併せ検討してみると、本件銀行本店の組織の上から審査部と検査部とは別の部門であり、審査部は融資案件の審査が主で、過振日報のほうはそれに付帯した報告として取り扱つていること、支店を検査するのは検査部の仕事であるが、検査部には右の日報は回付されていなかつたこと、当時の検査部長酒井武も本件連続過振りの事実は知らなかつたことが認められるから、当時過振日報による本店のチエツクは、検察官が主張するとおり、その実効性が乏しかつたといえる。そうであるとすれば、被告人が本部(特に検査部)の目をごまかすことができると考えたとしても、別段怪しむに足りないのである。原判決は、本店の検査部と審査部とを混同した結果、その判断を誤つたものと思われる。

第二点 原判決は、昭和五〇年二月五日の減少謀議に関する限り、いわゆる事後検査が行われた形跡がない、事後検査をごまかすために工作をするのであれば、当然事後検査があることが前提でなければならないし、取締役銀座支店長である被告人中村が事後検査に関する虚偽の情報に踊らされたというのも、いささか理解しがたいことがらである、というのである。

しかし、原審で取り調べられた竹田義夫の検察官に対する昭和五二年一二月一五日付供述調書には、昭和五〇年二月五日ころ本店検査部の検査員伊藤哲夫が銀座支店に事後検査に来た旨の記載があるのみならず、証人伊藤哲夫は当審公判廷において、上司である酒井検査部長の命により同年二月上旬ころ銀座支店で事後検査をした旨の詳細な証言をしているので、問題の事後検査があつたことは明らかであり、その形跡もないとした原判決の前記判示は、明らかに事実を誤認したものといわなければならない。

第三点 原判決は、昭和五〇年二月五日及び一五日の過振り額の減少が、果たして被告人中村の特別の要請が因となり、これに応えた被告人福田の努力が果となつて、人為的に作出されたものであつたと認めてよいかについて疑問がある、なんとなれば、被告人福田が具体的になしたことは、単に高利貸から融資を得て、港信用金庫三光町支店の八重州食品の口座に振り込み、過振りの見合小切手を決済したというだけであり、これは同被告人が毎日のようにやつていたことで、直接過振額の減少に結びつくものではないからである、という。

しかし、見合小切手を決済すれば、過振額は減少するのであるから、被告人福田のしたことは被告人中村の要請に応じた処置といいうるので、別段不審を抱く余地はないと思われるのであり、原判決がこれを疑問とする真意は、その判示の上から必ずしも明らかではないが、あるいは、被告人福田の行為は、単に形式的な過振り減少工作にすぎないもので、本件過振額の実質的な減少にはつながらないという点を指摘したいのかもしれない。

しかし、この点に関し、原判決が引用している被告人中村の自白調書の関係部分によれば、被告人中村は本店の事後検査に備え一時的でもいいから過振りを減らしてくれと被告人福田に頼み、福田もこれを承知して一時的に過振額を減少した、というのであるから、その趣旨は形式的な過振り減少工作であつたと解される。したがつて、被告人福田のしたことが、本件過振額の実質的な減少につながらなかつたとしても、そのことをもつて、右自白調書の信用性を否定する根拠となしえないことは明らかである。

なお、原判決は、右二月一五日の減少工作についての被告人福田の検察官に対する供述調書の記載には、被告人福田が振込み入金に努力した期日と過振額が減少した期日との関係で、時間的につじつまの合わない点がある、という。

記録を調べてみると、確かに、被告人福田の検察官に対する昭和五二年一二月二二日付供述調書中には、原判決が指摘しているような箇所があり、時間的につじつまの合わないことは一見明白であるが、これは同調書作成の際同被告人の供述を整理するにあたり混乱があつたためと思われ、この一点だけをとらえて、過振額減少工作をした旨の関係調書の信用性がすべてないと断ずることはできない。

第四点 原判決は、昭和五〇年二月一五日の過振額について、そもそも実際に二三三万円余に減少したといえるかについて疑問がある、関係証拠によれば、同日二三三万円余の過振りのほかに一二〇〇万円という多額の見做金額があり、これも実は他店券過振りであつた可能性が大きい、というのである。

しかし、第三点について説示したと同様、本件過振額の実質的な減少を問題にする場合ならともかく、被告人らは検査に備え一時的に形式的な過振り減少工作をしたというのであるから、右の点も関係調書の信用性を否定する根拠としては乏しいものといわなければならない。

第五点 原判決は、被告人中村の捜査官に対する供述調書には、過振額の減少を無差別に人為的工作の結果と説明する不自然な傾向があり、同被告人の司法警察員に対する昭和五二年一二月一七日付供述調書一二項によれば、昭和四九年一二月二八日に過振額が四一万九八二円となつたのも検査を慮つて減少させたものであるとされているが、これは関係証拠に照らしてたやすく措信しがたい、という。

記録を調べてみると、確かに被告人福田の検察官に対する昭和五二年一二月二一日付供述調書には、昭和四九年一二月ころは被告人中村や竹田次長から過振額を減少するようにいわれたことはない、との記載があるので、被告人中村の右供述記載を直ちに信用することが相当でないことは原判示のとおりであるが、この一事をもつて過振額減少工作に関する被告人中村の関係調書をすべて信用性がないものと断ずることはできない。

以上の次第で、被告人中村と竹田義夫が被告人福田と通謀して、本件一連の過振りに関し本件銀行本店の目をごまかすべく、過振残高を減少させる工作をした旨の関係調書の記載はこれを信用できないとして、原判決が指摘した第一点から第五点にわたる理由は、いずれも前提事実を誤認したか、又は的確さを欠く判断であつて、信用性を否定する根拠として、当審を首肯させうるものではない。

かえつて、関係証拠を総合すれば、いわゆる過振額減少の謀議を記載した被告人中村、福田両名の各自白調書及び竹田義夫の検察官に対する供述調書は、部分的にはともかく、全体としては十分信用性があるものと認められるから、これを否定した原判決の判断は誤りであるといわざるをえない。

そして、右(一)(二)について説示したところから明らかなように、被告人中村の捜査官に対する各自白調書のうち本件過振りの動機に関する供述部分は信用できないとした原判決の判断は誤りであり、全体としては、これらの供述部分は十分に信用性があるものと認められる。

(なお、被告人福田の検察官に対する供述調書中に、被告人中村は被告人福田に対する好意で過振り等の特別扱いをしてくれていたのである、という趣旨の記載があるが、これはいわば被告人中村の心理に対する被告人福田の解釈にすぎず、これだけが被告人中村の本件過振りの動機のすべてであるとみることが相当でないことは、原判決が判示しているとおりである。)。

かくして、被告人中村の各自白調書の供述内容に照らすとき、原判決が「無罪部分の理由」の中で「動機に関する結論」とか、「図利・加害目的の検討」と題して詳細に説示しているところは、いずれも到底当審を納得させるものではない。

原判決は、全体の結論として、結局被告人中村が、本件過振りをなした主たる目的は本件銀行の利益を図ることにあつたと認定し、八重州食品を利し、又は本件銀行に損害を加える目的があつたとは認められないとしているが、被告人中村の自白調書を初めとする関係証拠を総合すれば、本件過振りの主たる目的が八重州食品ないし被告人福田の利益を図ることにあつたとみるべきことは明らかである。

本件銀行に関しては、検察官主張のように、被告人中村において、本件銀行に損害を加える目的もあつたとみるべきか、原判決が認定したように、むしろ本件銀行の利益を図る目的もあつたとみるべきか、なお、検討の余地があるが、仮に後者が相当であるとしても、それはあくまで従たる目的にとどまるとみるべきで、原判決認定のように主たる目的がそれであるとすることは相当でない。

してみると、原判決は、証拠の評価を誤つた結果、被告人中村の本件過振りの動機の点、ひいては図利・加害目的の点につき、重大な事実誤認に陥り、被告人両名につき商法四八六条一項の特別背任罪の構成要件に該当する事実が認められるのに、これを認められないと解したもので、右事実誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決は破棄を免れない。

論旨は理由がある。

そして、原判決が指摘している、個個の過振り金額について支払呈示された小切手類の金額から当日入金された金額を差し引いたものとすべきかどうかの点、被告人福田が本件銀行に差し入れた担保物件の価格上昇の点、量刑の情状の点などにつき、なお審理を尽くす必要があると認められるので、これらの点につき審理を尽くさせるため、本件を原審に差し戻すのが相当である。

そこで、刑訴法三九七条一項、三八二条により原判決を破棄し、同法四〇〇条本文により本件を東京地方裁判所に差し戻すこととし、主文のとおり判決する。

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